滝沢泰平さん、やつは
311をきっかけにいろいろ調べるようになって、一際目立つサイトがあった。そのサイトは「天下泰平」といって、情報量もすごく、知性に溢れていた。どこから情報を得ているのか不思議なそのサイトに興味を持つようになり、毎日チェックするようになった。そこではネットショップ「やつは」もあり、紹介される商品はやはり興味をそそられるものが多く財布の紐が緩んだ。のちにその運営者は滝沢泰平と言う名前で自分より7個も下であることを知る。かなりのイケメンで、これは人気が出るなと思うとともに、人見知りで笑顔が少し苦手そうなところに親近感をおぼえた。
結婚願望もあまりなく出会いもなかった私は無駄に時間を過ごしていき、気がつけばアラフォーになっていた。さすがに婚活もしないといけないかと思い、ようやく1人の人とお互いの両親と会うところまで行ったが、そのあとうまくいかなくなり結局破談となった。さてどうするかと思っていたところに、婚活を兼ねた第1回移住体験合宿の案内が天下泰平で発表された。2015年の7月、8月、9月の開催で、条件は40歳未満。8月で40歳になる私はぎりぎり参加ができた。あの滝沢泰平さんに会えるのも楽しみだった。
7月、合宿初日、小淵沢駅に集合した。生の滝沢泰平さんの存在感はやっぱりすごかった。会場に移動して自己紹介など交流会があったが、自分は人見知りでうまく溶け込めない感じがしたし、みんなも少しぎこちなかった。みんなあだ名で呼ぶことになり、自分は栗ちゃんと呼ばれることとなり、滝沢泰平さんはタッキーと呼ぶようになった。
翌日は瑞牆山の登山だった。初心者でも登れる山と聞いていてなんの準備もせず普通の薄い靴で来ていた私はみんなが本格的な登山の準備をしているのを見てびびった。中級者用というと敬遠する人が出ると思ったという話を聞いて私は絶望した。木更津という田舎に住んでいて全て車移動で全く歩くことをしていなかった私は下山した時には膝から下の感覚がなくなっていた。ボロボロになって木更津までなんとか帰ったのである。どうやって帰ったのかは覚えていない。
こんな顔をしていたのは最初のうちだけ
しかし、そのあと面白いことが起こった。移住体験合宿参加者の掲示板サイトでみんな次々と自己開示が始まった。そして毎日何かの投稿があるようになり、8月に再び集まった時には家族のようになっていた。みんなとても仲良くなり、9月に合宿が終わっても一緒に遊びに行ったり、食事に行くようにもなった。はじめて心をゆるせる仲間ができてとても楽しかった。
ところで私は、合宿に参加するにあたり、婚活に期待しながらも移住することはないと思っていた。しかし目的の婚活は全く進展をみせず、移住するつもりはなかったのになぜか1年後には木更津の病院を辞めて八ヶ岳に住むことになった。人生ってわからない。
八ヶ岳の標高500m付近の平家に移り住んだ私はしばらく仕事をせずにゆっくり過ごすようにした。寝たい時に寝たいだけ寝る生活と八ヶ岳のきれいな空気が、疲労とストレスで悪化していたアトピーを癒した。八ヶ岳の仲間に迎えてもらって、タッキーの誕生日会で流しそうめんにありつけたし、早朝空手にも参加させてもらえた。冬の八ヶ岳の早朝空手は寒さは厳しかった。でもみんなといると楽しかった。しばらくしてやつはがシェアハウスをやることになりそちらに移らせてもらった。標高1100mのもともとペンションだった物件で夏は最高に気持ち良かった。料金も格安で非常に助かった。
さて、もちろん収入なしでいつまでも休んでるわけにもいかず、仕事を探して八王子の病院に勤めることとなった。毎日通うわけにもいかず、平日は八王子で過ごして週末は八ヶ岳のシェアハウスに帰る生活を続けた。小さな2拠点生活だったが、これは私に合っていたようで快適だった。
快適な生活ではあったが、大きな問題は解決していなかった。婚活である。権現岳に登っておきたかったのもあり2017年も移住体験合宿に参加することとした。その年は2015年と違い、6月、7月、8月それぞれでの募集だった。私は全て参加することにした。6月に参加した際、私はなぜかやつはのスタッフ寄りの気分になり、かつ頭痛がひどくて参加者とあまり話さなかった。その話さなかった参加者のうちのひとりがのちの奥さん(りょうちゃん)である。あとから聞いたら私はずっと怒っていると思われていたらしい。今回も7月、8月と参加するうちに仲のいい友達ができるようになった。サプライズで自分の誕生日祝いをしてもらえたのは素晴らしい思い出だ。今でも時々うちに泊まりに来てくれる。
9月にはやつは主催の初のイスラエルツアーがあった。イスラエルといえば危険なところ、しょっちゅう戦争をやっているところといったイメージの人が多いと思う。だけど何度もイスラエルを訪れているタッキーは、実際はそんなイメージとはかけ離れた素晴らしい場所であることをブログで教えてくれていた。前の年にイスラエルで真弓さん(まゆゆ)と結婚式をしたこともブログで書いていた。イスラエルなんてこんな機会でもなければまず行けないし行けたら行きたいなとは漠然と思っていた。だけど日程的に何日も仕事を休むことになるのでちょっと難しいかと思っていたら日程が変わって行けるようになり申し込むことができた。そこでりょうちゃんと再会することになる。当時は激務な仕事でなかなか休みが取れないのにたまたま取れた休みにツアーの日程がずれたそうだ。不思議な巡り合わせだ。
出発前日なぜかギックリ腰になったが気合いで無理やり動かし、当日なんとか車を運転して成田空港に向かった。到着した頃タッキーから電話をもらった。りょうちゃんと3人でそばを食べてるので一緒に来ないかという誘いだった。ありがたく駆けつけた。のちに聞いた話では、タッキーとまゆゆは2人がくっつくんじゃないかという予感があったらしい。
行きの飛行機でりょうちゃんと隣に座って話したが、その時はお互い恋愛対象ではなくて、誰か紹介しようか、とか外人がいいんじゃないかなんて話していた。この時はのちに付き合ったり、まして結婚するなんて夢にも思わなかった。ただ、笑顔に苦手意識がある自分にとって、いつも笑顔でいられるりょうちゃんは尊敬の対象だった。
そうそう、なぜか機内食でパンの一部が石より硬く左下の奥歯が派手に欠けてしまった。ギックリ腰といい、イスラエルに着く前からいろんなことが起こる。
飛行機ではあまり眠れず寝不足の状態でイスラエルに到着した。寝不足の目にはイスラエルの陽射しはきつかった。ツアーの参加者には優しくて気配りがすごい方がいて、その方は自分とりょうちゃんをくっつけようとしてくれた。そんなつもりはなかったので戸惑いながら写真を撮ってもらったりした。
イスラエルはとにかく美しかった。自分には珍しく、ガリラヤ湖では鳥肌が立った。
やはりガリラヤ湖にタッキーは似合う
この緑の鳥がきっかけでイスラエルでもりょうちゃんとよく話すようになった。
立ち去ろうとすると引き留める犬
イスラエルのコミュニティ、キブツの日常風景。みんな仲良く幸せそうに見える。
こんな景色なのになぜか懐かしい。以前にいたことがあるような感覚がして不思議だった。
外人にナンパされるタッキー
ガイドのバラさんと。りょうちゃんはバラさんのお腹が好きらしい。男女が逆だったら大変なことだ。
ヨルダン川で全身沐浴した。タッキーに全身沐浴を勧められていたが、入ったあとに、「本当に入ると思わなかった、全身でやる人初めて見た」と言われた。パイオニアはいつもこんな感じだろう。イスラエルならすぐ乾くかと思ったら下着は全く乾かずえらい目にあった。
死海に入る前に泥パックをしたところ。死海がとても楽しみだったのでテンションが上がった。
死海に入ったら肛門が痛くてタッキーに「痔ですね」とさらっと言われた。そしてたしかに当たっていた。りょうちゃんは死海の水が目に入って大変そうだった。
美しい岩のドーム。イスラエルは日本で聞くよりも全然平和で、想像していたよりもかなり美しかった。
イスラエルの旅も終わり、成田に無事に帰国した。車で帰ろうとしていた私をまゆゆが呼び止め、りょうちゃんを東京駅まで送ることとなった。正直私はイスラエルではいまいちわからなかったが、この車中の会話でりょうちゃんが運命の人だと思うようになった。まゆゆのおかげだ。
その後、移住体験合宿メンバーによるさつまいもの会で、お付き合いの報告をした2人。
それから半年ほどして2拠点生活は終わりを告げた。職場の近くに家を借りて2人で住むこととなった。ただ、いい思い出がたくさん出来た八ヶ岳を離れるのは寂しくもあった。2人のキューピッドであるタッキーとまゆゆに快く証人になってもらい6月9日入籍した。
それからあっという間に3年の月日が過ぎた。途中、体調を崩して大変なこともありながらなんとかやってきた。やはり健康が一番だ。我々は自分たちの経験をいかして健康に関するネットショップを始めることになった。もちろん最初に扱うのはやつはの商品だ。
0コメント